知床青年同志会のお話し 最後の知床オーロラファンタジー!
知床には、知床を大切に節に思う若者達がいた。
その若者達も今では60歳から70歳代である。
平成27年12月11日第24回知床北こぶしグループ親睦会が開催され、二次会でお会いしたのが、その若者たちの数名である。
当時、青年会議所に入会していた若者は、血気盛んな年代でもあり、大いに賑やかに会務に参加し活動していたようである。
ヒョンナことから我が故郷「知床」を思う青年達が、本当に我が故郷「知床」を思う青年の集まり、同志会を作ろうと決起した。
それが、「知床青年同志会」である。
知床旅情の歌が世で流行る前ごろのことである。
そんな彼らの活動が、「護美の会」である。
まずは、「ゴミの会」の始まりである。
当時、この知床は、ゴミの地であったという。
家庭ごみ、観光客の捨てるごみ、産業ゴミ、海岸に寄せられるゴミ、それらは堆積されていた状況であったという。
今の知床から想像もつかないありさまだったという。
そのゴミを拾い集める活動を開始。
あれは、「何年もかかったな」という。
みんな自前で、広い集め、処分したという。
「今の若者はこんなことがあったとことは、知らないと思う」という。
そんな「知床青年同志会」の活動が、
今の知床の地で行われていたことが忘れ去られようとしている。
そして、もう一つ。
彼らが考えたことがあった。
冬になったら、知床は陸の孤島。
誰も来やしない。
そんな冬の知床に、人を呼びたい。
若者たちは考えた。
この寒さの厳しい知床で、お祭りだ。
それが「知床スノーフェスティバル」である。
そのフェスティバルも、
今は、知床の夜空にオーロラを人工的に再現する
「オーロラファンタジー」に発展し、人々に感動を与えている。
現在のオーロラの再現になるまでには、
麦わらを燃やして煙を、煙の上げ方が、煙幕が、ペンギンが……と
懐かしげに、愉快に話す。
そして、彼らは寂しげに言う。
「このフェスティバルも今回が最後なんだ!」と。
彼らは言う。
おれらの活動は「知床を愛する心の活動であった」と。
「今でもその気持ちは変わらない」と力強く言う。
「しかし、身体が動かないんだ」と。
私は聞いた。
「知床青年同志会」は解散したのか?と
彼らは口をそろえていう。
「今でも続いている」と。
こんな彼らの活動が、知床の地を支えてきた大きなひとつであったことを、
私は、初めて知った。
彼らの活動は過去から今も続いている。
最後に、
「知床青年同志会」の皆さんを始め、知床の地元の方々に心から、敬意を表します。
「誰も来ない」「厳寒の地」の冬の知床を何とかしたいと考えた若者たちがいたのです。
彼らの熱き思いから始まったフェスティバルは、知床の夜空にオーロラを人工的に再現する「オーロラファンタジー」に発展しました。
流氷が押し寄せる厳寒の地で開催される「オーロラファンタジー」は、感動呼ぶ「オーロラファンタジー」に発展・進化し、感嘆の声を聞くようになりました。
正に逆転の発想の成果です。
そして、今、地方創成の求めている原点でもあるといえます。
若者が誇れる町、若者が居たいと思える我が故郷、そんな原点を見た様な気がしています。流氷が押し寄せる厳寒の地で開催される「オーロラファンタジー」は、今回が最後だとお聞きしました。
これで終わることは、未来ある若者の損失としか思えてなりません。
知床の地で新たに「オーロラファンタジー」が再開されますことを、せつに願う次第です。
平成27年12月12日
知床の地にて
日本アシスト会計グループ
代表 佐々木忠則